上流?中流?下流?
昔「一億総中流社会」と言う言葉がありました。まだ復活を狙っている人もいるみたいですが、個人的にあれが日本をダメにしたと思うんですよね。
別に「中流目指さず清貧に生きろ」と説教したいわけではありません。「自分達はそこまで貧しくないし、お金持ちでもない。だから中流」と言う考え方自体が不味かったと言う話です。
人には能力差があるわけですが、日本は多少頭が悪くても生きていける社会です。そのためか「底辺以上、中流未満」の人達までが「俺たち中流」と夢を見てしまったのではないでしょうか。
つまり下流レベルの頭しかない人達までが中流と同じ生活ができてしまったために、自分達は中流で、普通の日本人だと勘違いしてしまったのではないでしょうか。
この人達は常識を疑いません。矛盾も気にしません。与えられた現実のまま問題なく生きれてしまった人達です。この下流の人達が崩壊する日本の足を、更に引っ張ったのではないかと推察しています。
彼らは事実よりイメージを優先します。振る舞いは中流なのに、言動の端々に下流が覗きます。「普通の人間はこうだ」「これが当たり前だ」と昔のイメージで語り、バブル崩壊以降の変化した現実との齟齬は気にしていません。
自分は上流・中流・下流の3つに分けるより、殿上人・上流・中流・下流・底辺の5段階ぐらいに分けて考えてます。こうしないと、自分の中でこの違和感がスッキリしないのです。
最近は知りませんが、ネット右翼が「普通の日本人」を自称することがあります。あれも似たような精神性から来てるのではないでしょうか。普通や中流である事が「正解」なのです。
中流を再生させること自体は反対してません。ただ下流や上流までが中流を名乗るのが解せないと言う話です。では。
ロビン・フッドの冒険
先日『ロビン・フッドの冒険』(1938年)という古典の映画を見ました。名作らしいのですが、恥ずかしながら初めて見ました。
見ようと思った動機は単純でして、「勇者が民を救ってお姫様と一緒になりハッピーエンド」というのは王道のストーリーとして知られてるけど、そういや実際には見た事ないぞ、と気づいたからです。
自分の人生で似たストーリーに出会ったのはドラクエ1くらいですが、これはゲームだし。
そんなわけでそれらしい映画を探してみたらロビン・フッドにぶち当たったワケです。衣装は原色で学芸会みたいだけど、自然は美しいし、確かに王道だなーと思える内容でした。多少ツッコミ所もあるけど、いい映画でした。
王道ってありふれてると思って、あまり興味持たない人生でしたが、探してみると無いものですね。ではでは。
何だよ、これ
今回は怒りと嘆きに任せて書いてるので、不快に感じる方はスルー願います。
アニメオタクが市民権を得てだいぶ経ちますが、僕が学生やってた30年くらい前はアニメ見てたら馬鹿にされる事が何度かありました。相手はもちろん「どんなアニメを見ているのか?」すら聞きません。漫画・アニメにハマっているというだけでダメでした。
市民権を得て10数年が経った現在、世間を見て思うのが「何だこれ…」です。
こちらはアニメが認められて「AKIRA」や「攻殻機動隊」のような実写顔負けのアニメ映画を、成人した人間が平気で観に行ける世界を夢想したものですが、蓋を開けてみれば、アレだけアニメを馬鹿にしてた人達が見に行くのは鬼滅やコナンみたいです。単にクオリティが上がった少年アニメなんだけど、え?いいのそれで?
もしくは暗喩めいたテーマを宿しながら、表面的にはエンタメのフリをしている宮崎アニメや新海アニメを見に行くだけみたいです。表面しか見えてないでしょ、あんたら。
2020年の日本アカデミー賞で「海獣の子供」がノミネートすらされなかったのを見て、この人たちは一体何なんだ?と(流石に同年の文化庁メディア芸術祭では大賞とってましたが…)。
もちろんこっちもオタクなんで、鬼滅やコナン見るのがダメだなんて思わないし、それなりに内実のある行為だと思うけど、アニメ見る事を馬鹿にしてた人たちが「日本のアニメすごい!」と言って観に行くのがそれなの?
自分はこんな人たちに馬鹿にされて、劣等感感じて半生を生きたのかと思うと、脱力しかありません。てっきり自分が見る程度のアニメなんて見下せるくらいの読解力があるものだとばかり…。
ファッション音痴な自分はユニクロや無印良品でしか服を買えませんが、アニメに対する一般の人のリテラシーもそんなものみたいです。ガッカリです。何なんだよ、アンタら。
第三次産業革命
去年になってようやく「第三次産業革命」なる言葉を知りました。ここ40年ほどそうなんですね。
第一次が蒸気機関、第二次が電気・通信、第三次がデジタルと大雑把な理解をしています。実感としてはデジタル化が進んだのは90年代後半以降の印象です。
「そうか、産業革命中だったのか。どうりでやたらと生活必需品が変わっていくはずだ。目まぐるしくて仕方ない」と思ってました。
保守的な人間なので、あまり生活を変えたくないというか、一度買った物はずっと使っていたいんですよね。でも僕の人生だけでも固定電話→携帯→スマホと、ドンドン変わっていき「面倒だな、でも便利だな」みたいな相反する気持ちがゴチャ混ぜになってます。
パソコンも気付けば6代目を使ってますね。買うのはいいけど処分が面倒です。最初は勝手がわからず無駄に高価な機材を買ってました。持病が悪化した頃にiPadを衝動買いしてしまい、ろくに使わず人に譲りました。面倒です。
映像メディアは昔はVHSテープやレーザーディスク、今はDVD・BDを使ってますが、それももう時代遅れになりつつあるようです。面倒です。
世間の年収もこの30年で駄々下がりだというのに、お金かかってしょうがないですね。まあ僕としてはお金よりも物を無駄に消費しなければならないのが生理的にキツイのですが、技術の発展のためなら仕方ないですかね。その恩恵として、円盤や紙を無駄に消費せずに済むのなら万々歳な気がします。ではでは。
メタルスーツの少女たち
今回の話は大した事ないです。何しろ語るアニメの内容ロクに覚えてないんで。
『メタルファイター♥MIKU』って知ってます? 94年にテレビ東京の早朝に1クールだけ放送されたアニメなんですが。近未来の日本で紅いメタルスーツを着た女の子たちがプロレスバトルすると言う内容です。
僕はこの作品のファンでも何でもなく、当時たまに見ていただけなんですが、OPとEDの曲が好きでした。…いや、言いたいことはそんな事ではなく、このアニメ初見で思ったのが「OVAじゃなく地上波でこんなキモオタアニメやるなんて…」と言うものでした。
ただ振り返ると、地上波でオタク向けの美少女アニメを流すパイオニアになってたんだな、と今は思えます。この作品がなければ「天地無用!」や「バトルアスリーテス大運動会」を地上波の夕方に放送する流れにはならなかったかも、と。
その後、美少女アニメ群は深夜アニメの世界に舞台を移すのですが、過渡期として面白い現象だったと思います。まあ僕は美少女アニメに詳しくないので、これ以上話す事はないんですが、ただ「メタルファイター♥MIKUって歴史的に重要だったんじゃね?」と言いたかっただけなんです。ではでは。