萌えと燃え
今回は「萌えに詳しくないオタク」である自分があえて<萌え>について語ってみます。
萌えの起源について語ると『白蛇伝(1958)』にまで遡るそうですが、そちらではなく「萌え」という言葉が出現した経緯について考えてみたいと思います。
萌えと言う言葉を自分が初めて耳にしたのは00年代前半だったと思いますが、萌えキャラらしき物が出現したのは90年代後半な印象があります。『カードキャプターさくら』の木之本桜や『To Heart』のマルチあたりですね。
それ以前に人気のあった美少女キャラと言うと『うる星やつら』のラムや『ああっ女神さまっ』のベルダンディーがいましたが、こちらはちょっとお姉さんなんですよね。
「はにゃーん」とか「はわわー」とか言いそうな、無害で可愛い少女ではないです。お姉さんぽくない美少女キャラで人気が出るようになったのは『新世紀エヴァンゲリオン』以降でしょうが、今回記事を書こうと思ったきっかけは『機動戦艦ナデシコ』を思い出した事です。
ナデシコは1996年にTVシリーズが、98年に劇場版が製作されています。ナデシコは前年に作られたエヴァンゲリオンに付いていけなかった旧来のアニメファンに向けて「ガンダム・ゲッターロボのような馴染みのあるロボット」「ラムちゃんみたいな男主人公に一途なヒロイン」「宇宙戦艦を舞台に繰り広げられる群像劇」といった安心要素で出来ているアニメでした。
振り返って面白く感じたのは、ラムちゃんを意識したはずのメインヒロインのミスマル・ユリカ(画像左)より、綾波レイをジェネリックしたようなホシノ・ルリ(画像右)の方が人気が出てしまったという事です。
また劇中作に70年代熱血ロボットアニメを意識した「ゲキ・ガンガー3」(画像右)を登場させ「熱血=燃え」のようなもの表現し、最終回において主人公のテンカワ・アキトに「熱血を信じた俺の気持ちを信じたい」と言わせてます。それは熱血に対して惜別の念を語っているようでした。
「ゲキ・ガンガー=燃え」にお別れをして、代わりに残ったのが「ルリ=萌え」だった。「燃え」と「萌え」の分岐点がナデシコだったんじゃないかと、例によって20年以上経ってから今更のように思い返していたわけです。
もちろん「燃え」が完全に消えたワケではないでしょうし、「萌え」という言葉も全盛期ほど聞かなくなりました。果たして萌えの次は何が出てくるのでしょうか。
ロボアニメが消える日
今回はロボットアニメについての思いつき。
ロボットアニメって大きく2つに分けられると思います。昭和と平成です。
昭和は鉄人28号(1963)から機甲戦記ドラグナー(1987)まで。平成は機動警察パトレイバー(1988)からダーリン・イン・ザ・フランキス(2018)辺りまで。
パトレイバーはシリーズ開始が昭和63年で本来はギリギリ昭和のはずなのですが、昭和と平成を跨いだシリーズであり、また鉄人28号を意識した作りになっているため、区切りに丁度良いと思い、この分け方になりました。
ドラグナーとダリフラを選んだのは時期的な物もありますが、この2作はそれぞれガンダムとエヴァを意識して覇権を狙ったにもかかわらず、結局コケたという共通点があります。
平成のロボアニメは先述の通り、鉄人28号を意識したパトレイバーやウルトラマン・マジンガーZを意識したエヴァなど、昭和のコンテンツのリブートのような作りになっており、1周回った感じがします。
では令和はどうなのかと言うと、今年は「バック・アロウ」「SSSS.DYNAZENON」に加え「境界戦機」「メガトン級ムサシ」などが控えてます。
気になるのは映画です。「シン・エヴァンゲリオン劇場版」「ガンダム 閃光のハサウェイ」「シドニアの騎士 あいつむぐほし」「劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!」「エウレカセブン ハイエボリューション」と妙に既存作の劇場版が多いです。
…これを昨今低迷しているロボアニメの復活と見る人もいるかもしれませんが、自分のような年寄りにはまるで最後の花火のようにも見えます。劇場版に至っては在庫一掃セールみたいです。
「トランスフォーマー」以降、ハリウッドでも巨大ロボット映画が制作されるようになりましたし、この後ガンダムも控えています。ゴジラのように後はハリウッドにお任せして、日本のロボットアニメは消えていく運命なのかもしれません。
リタイア
今回はただの自分語りです。
#雑誌の日
— 小栗かずまた (@kazumata_oguri) 2021年3月4日
この間、今の週刊少年ジャンプの読者の平均年齢が28歳と知って衝撃を受けました。手元にあった昔のジャンプのアンケート表を見たら、テンテンくん連載開始号(24年前)は平均年齢14.7歳。28歳って結構な社会人…。
このまま漫画雑誌読者の年齢層って、どんどん上がっていくのかなぁ。
自分はもう20年くらい前に読むのやめちゃいました。当時20代前半で平均年齢よりずっと上だったワケですが、いつの間にか追い越されてます。
近年の作品は単行本を1、2冊読んで確認する程度で、持病のせいもあって全然読めてません。周囲には同年代でも鬼滅や約ネバを読んでいる人がいますが、「自分には無理だな」と完全にリタイア決め込んでます。
自分の場合20代前半でラノベは卒業してしまったし、TVゲームも30歳くらいまでで、未だに続いているのはアニメと青年マンガくらいでしょうか。病気になってから、実写映画をまとめて観たりもしましたが、それも飽きてますね。
こうやってリタイアしながら年を取っていくのだろうかと最近は思っていますが、また元に戻るかもしれないし分からないですね。
五輪
世界を相手に戦争し、アメリカの属国のまま経済大国としてトップに立とうとしたりと、20世紀の日本はどうも身の丈以上の事をしていたように思います。
「せっかく崩壊した首都と政府だ。まともに機能する形に作り替える。」
…とシンゴジラで赤坂秀樹が口にしてましたが、第2の敗戦を迎えた今、アジアのマイナーな小国という本来の日本に生まれ変わる良いチャンスです。
でもお爺ちゃん達は、まだ日本が経済大国のままだと勘違いしているようですね。そんなワケないだろ。
追記:シンゴジラは東日本大震災がモチーフだとよく言われていましたが、どちらかと言えば経済大国としての日本が崩壊した事を総括していたのではないでしょうか。かつて大日本帝国が崩壊したように、経済大国日本もまた崩壊したのだと。
三者三様
今回は宮崎駿・細田守・新海誠の三者の違いについての思いつきです。
まずは細田守。
細田守が象徴するのは「共有化」です。ネットを題材にする事が多いのもそうですが、既視感のある誰でも知っていそうな内容が多いです。
女の子の性格は、やや鈍くて素朴な子が多い気がします。
続いて宮崎駿。
宮崎駿が象徴するのは「多様化」です。その土地の文化や自然を美しく描く傾向にあります。インターネット? そんな物はありません。
女の子は、聡明で凛々しい子が多いです。
最後は新海誠。
新海は上記の二人の「中間」です。現代文明と自然現象の両方を描きます。ネットは常識の範囲内で使われる程度ですね。
女の子も上記の二人に比べると普通な感じです。したたかな所もあれば、健気な部分もあります。
…と、3人の作品を全て見たわけではないので、大体の印象で書きました。正解かどうかはわかりません。正確な検証は専門家の方にお任せします。